秋といえば、月並みですが食欲の秋。
おいしい料理を頂く前に、味覚のうんちくを。実は人の味覚は、ピークが10歳前後なのだそうです。
でも私達は、やれどこのなんとかがおいしいとか、マズいとか能書きをいいます。味覚のピークはとっくに過ぎているのに!
ではなぜ料理のあれこれをいえるのでしょうか。それは経験だと思うのです。今まで味わった料理の味の記憶を基準にして、判断しているのだと思います。経験を重ねることで、その人なりの味覚の基準が作られていくのだと思います。
ひょっとしたら、音に関しても同じ事があるのではと思っています。いい音と判断するには、いろいろな音を聞いて経験を重ねことで、それぞれの基準が作られていくのではないのかしらと思っています。
そう考えるに至ったのは、ピアノの音にきれいな音があるという話を聞いたときです。正直驚きました。バイオリンなんかは聞いててすぐわかりますが、ピアノでもあるんなんて。鍵盤をたたいているだけなのに音に差が出るとは考えもしなかったのです。でもいわれて注意して聞くとたしかに。
さらに、ふだんから「いい音」と、言うことがあります。この「いい音」は、ピアノの話よりさらに漠然としています。これは料理の味に近い話かと思います。自分なりの基準を持っていないと判断できなくなります。
では三味線ではどうでしょうか。きれいな音はあります。三味線の音色はバチのたたき方やタッチで変わります。きれいな音を出すことだけがいい演奏とは限りませんが、いい音、繊細な音、激しい音…が自在に出せる、表現できるようになるには、やはり日頃から練習、場数を踏む、経験を積むということでしょうか。
もちろん、違いを聞き分ける耳も大事です。これも日頃の経験が大切だと思うのです。
最後に話は少しそれますが、音色って人柄も出るらしいですよ。ちょっと怖い気がしますが、こちらも精進あるのみということでしょうか。
三味線をお稽古事と思えばそれまで。より良い演奏していくために、お稽古を通して人として成長できる機会と考えれば、それはそれで人生の宝になるのではないでしょうか。