10年前の3月11日、みなさんはどこにおられましたか。そして、無事にご自宅に帰ることができたでしょうか。やっとの思いで、帰宅したら東北地方が大変なことになっていました。
その後、被災地に入られた方のお話しを伺う機会がありました。
その方は、宮城県のある町に支援事業で入られ、地域を見て回ったそうです。ある日、海沿いの幹線道路から海岸線まで見通せるので海に行って見ると、見通せたのは津波で全ての物が流されたためで、線路が残されていたことで、そこに駅があったことがわかるといった具合でした。また海沿いの小学校の体育館の中は色々な物が散乱し、津波の激しさを目の当たりにし、見ていて胸が締め付けられ息苦しくなったそうです。記録にと思って写真を何枚か撮りましたが、それ以上はレンズを向けることができなかったと言っていました。
支援事業の中心は、仮設住宅の住民の方の健康管理のお手伝いをしたそうですが、最初はどのように接したらよいか手探りだったそうです。心に留めていたのは、「がんばりましょう」とは声がけせずに、「お体をお大事に」とだけ声がけしたそうです。中には優しい声をかけていただきと、涙ぐむ方もおられたそうです。
それでも一年ほどすると、住民の皆さんの心にも余裕が少しは持てるようになってきたのでしょうか、訪問するとお茶でも飲んで行きなさいとか、お声を掛けてもらえるようになったそうです。夏場には冷たい缶コーヒーを持たせていただいたことも。
仮設住宅の集会室でも、ささやかなイベントも催されるようになってきたのも一因ででしょうか。
そんな中に、音楽イベントもありました。AKB48も熱心に被災地支援をされていましたが、多くの音楽関係者が慰問に訪れていました。
音楽関係者も最初は、音楽を演奏することが場違いなのではと思われたそうですが、音楽が聴けて楽しかったとか、慰められましたと言われたことに、演奏した方が励まされたと言っていました。
地震だけでなく災害が激甚化してきています。被災することがないのがベストではありますが、これからも災害は起こることでしょう。
そして被災地を訪れ、演奏するという事があるかもしれません。わたし達三味線演奏をする者は、演奏できるレパートリーを増やしたり、また被災した方に寄り添えるような演奏もできるよう、日頃からお稽古に励まねばと、あらためて心に刻む3.11です。