高橋竹山という三味線演奏家、みなさまもよくご存じだと思います。竹山は1910年6月18日に青森に生まれました。ということは、今年生誕110年という節目の年であります。
竹山は幼少期の病気が原因で、半失明となってしまい、近くのボサマ(視覚障害の門付芸人)に三味線を習ったそうです。習うと言っても手取り足取り教えてくれるわけではなかったと、後に竹山は回想していますが。
ちょうど今の時季の津軽は、関東の梅雨らしい雨も少なく穏やかな日々が続きます。鰺ヶ沢という港町に行って、海辺の食堂に入って昼食を食べながら日本海を見ると、それはそれは穏やかで太平洋を見ているのではと錯覚してしまいます。
それが冬になると、灰色の雪雲が低くたれこめ、海の色は鉛色で、雪交じりの強い西風が吹き荒れ、高い波が浜辺に押し寄せます。
後年、竹山は渋谷のパルコに近い山手教会でライブを開くようになります。そのライブで、弾き語りをして
「自分は目が見えない、ボサマと蔑まれ門付けしたもんです。今は芸人なんて言われるけど、とんでもねぇ」
と吐き捨てるように語ります。その心の内には、暗く厳しい吹雪の中を門付けして歩き回った日々や、荒れ狂う冬の日本海の景色が浮かんでいたのではないかと思います。
恨み節か、うなり声にも似た、じょんがら節やよされ節を耳にした衝撃は、今でも忘れられません。
でもこうしたライブを通して、特に若い人に三味線に接する機会を作ってくださったことが、今日の民謡、三味線ブームの礎となったのは間違いないでしょう。
芸事も時代時代の風潮や流行を感じながら変化していきます。津軽イコール暗い、という先入観を持たない若い人達に、――実際のところ冬の津軽はそんなに暗くはないですよ――、竹山という演奏家がいたことを伝えつつ、新しい芸の道を切り開いていくことを期待してやみません。さあ、若人よがんばって!